バイオリン作り略歴?

 
いつ頃から、楽器を作っているのかというと、もう遥かに昔になってしますのですが、

そもそも、子供の頃から、音が出るものが好きで、
小学校で習うハーモニカやリコーダを、一日中でもピーピー吹き鳴らしていた、喧しい子供だったのですが、

バイオリンを弾くようになってからは、とにかく、音を出したくて、あれこれLPを聴きながら、
ソリストの弾くカッコいい音の出し方を、あれこれ、工夫をして真似しまくっていました。

楽器は、鈴木の安物でしたし、3/4の子供サイズでしたので、さすがに音量も出ず、なんとか、自分で最高の楽器を作ろうと思い立って、
身の回りの木材のそれらしきものをかき集めて、作りはじめたのが、高学年の頃だったと思います。

バイオリンは、表の板、裏の板が独特の曲線でできているのですが、当時のスズキは量産の為に、薄板を高圧でプレスして、この曲面を作っていました。楽器をよくよく見ると、元が平面の板であったことが、子供の目でも分かったので、なんと、私は、木材でプレスの木型を作り始めたのです。

プレスされる方の材料は、カステラの木箱の蓋からそれらしく、形作ったものでした。プレスは?まあ、できる訳がありませんよね。高温に加熱して油圧をかけてプレスをしないと、そうそう、曲がるものではないのです。

あえなく、初回のトライは敗退したのですが、そもそもが執念深い性格なので、そのあとも、ずっと機会を見つけてはトライをしてきました。

作り方や材料についても、当時はWebもなかったので、書籍や雑誌の記事や楽器屋さんなどを頼りに、少しずつ情報を集めて、本当は固まり板から曲面を削りだすのが正しい作り方であることや、材料は国産の板屋楓ではなく欧州産のメイプル材で、表板は松ではなくスプルースという材料であることも、判ってきました。

そこで、今度は、ドイツやイタリア関係の貿易関係や、大使館にまで手紙を書いて、材料や工具について、教えを求めはじめたのですが、ニッチな分野のことですから、ほとんど実のある回答はありませんでした。

子供が生まれて、家事共同作業に忙しいある日、ふと、楽器屋に訊けばいいんだ、と、思い立って、国内でバイオリンの製造販売をしている文京楽器に材料が欲しいと手紙を書いて、材料を分けてもらって、1台目の楽器を、まったく独学で作りあげてしまいました。

今見ると、1台目は初心者が失敗しがちな工作の見本、やっちゃいけない失敗の典型集のような出来栄えです。
その後も、紆余曲折はあるのですが、

ある日、行きつけの楽器店の店員さんから、堂島で関西バイオリン協会の展示会があることを教えてもらいました。それが、演奏家の葉加瀬太郎さんの楽器を作られた馬戸工房さんとの出会いになりました。

その時、試奏ささてもらたた馬戸 一さんの楽器は、とてもパンチのある華麗な音の出る楽器でした。すごく欲しくなったのですが、売り値100万円でしたし、既にイタリア、フランスの楽器も持っていて、3本目は無理、と諦めたのですが、

数か月後に、やはりもう一度弾いてみたくなって、お店とコンタクトしました。残念ながら、既に楽器は売れてしまった後でしたが、馬戸さんではバイオリンの作り方を、土曜日曜に教えていることが分かり、ここから2台目の作製が始まりました。

馬戸さんの教室は、プロ養成ではないのですが、教えているプロセスは、学校で教えているプロセスとまったく違いません。むしろ、細かいところまでマンツーマンに近い形で進めてもらったので、学校で習う作り方のプロセスは、ここで覚えてしまいました。

学校と違うのは、道具の仕立てをまったく自分でしないところです。学校では、職人として必要な刃物の仕立てをしないといけません。これは結構重労働で、なおかつ、上手に仕立てができなくて、工作にも影響がでてしまうのですが、馬戸教室では、道具はすべて借してもらったので、この苦労は必要なく、作ることに専念して、2013年から丸3年、ニス塗りを含めて足かけ4年をかけて2台目を作りました。

その後が、東京への転職になるわけです。







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